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春の日の出来事

2015/06/21 19:18:36 | ◆・・・ | コメント:-件

私が『今』を歩いているのは…

すべて

あの子たち がいたから。




私が『今』を想うのは…

すべて

あの子たち がいるから。




2度と同じ過ちは繰り返さない、と誓った18歳の夏
それからの9年間は、OCよりも避妊率が高いとされているIUD・IUSを使用して避妊をしていました。

その9年間の間に…「妻との関係を清算して、妙子と家庭を持ちたい。
妙子とのあいだの子供が欲しい、一緒に家庭をやりなおしたい」

Aさんからはそんな言葉があり、私もそれを何年もの間信じて、心の拠り所にしていました。


…Aさんの言葉を現実にすることは難しいと、頭では理解していました。
けれど、それがAさんの本音だと信じていたから…私は愛人として、日陰の立場として、Aさんの隣にいることを幸せだと思うことができていました。






2度目の妊娠が分かった当時、私はキャリアOLとして最前線・最大級のプロジェクトを抱えて、仕事しか見えていない状態でした。
だからだったのか、私の妊娠に先に気づいたのはAさんの方でした。
絶対におかしいから病院に行ってくれと何度も言うAさんを、「IUSを入れているから、妊娠なんかするわけない」と無視し続けて…
プロジェクトがひと段落したタイミングで、しぶしぶ検査をしてみたところ、陽性となり…
27歳の春、私はもう一度、同じ選択を迫られました。



最初に浮かんだことは…
「IUSを使っているのに、どうして?」

次に思ったのは、9年前のあの日から続く後悔。
もう二度と自分の体に宿った命を殺さない、という、あの日の誓い。

次にしたのは、すでにAさんからのお手当てを受け取らなくなっていた自分の口座残高の確認と、自分のお給料と、出産・育児のお金の計算でした。

一人でもなんとかやっていけそう、とわかって、ほっとしたのとともに、不思議な感覚を覚えたことを今でも覚えています。
「おかあさん、に、今度こそなれるのかもしれない」
嬉しいような、思いがけないプレゼントが届いたときに似た戸惑いのような…





当時、Aさんは仕事で関西に行っていることが多く、Aさん自身も新しいプロジェクトの始動を控えていました。
そのため、すぐにAさんに会えるわけでも、話ができるわけでもなく…

私なりに、考えて考えて、Aさんの帰京と、お仕事の兼ね合いを考えて、話をする日を選んで…
今が、一番Aさんへの衝撃が少ないはず、というタイミングで、Aさんに妊娠を告げました。
すると…
「奥さんに、どう話すかだな…」
Aさんは、まず、そう、口にしました。
そして、Aさんは、「考えさせてほしい」と言ったまま、完全に口を閉ざしてしまいました。

そこから、Aさんが本宅に帰っても、関西に行っても、毎日メールや電話はしていたのに、Aさんが私の妊娠に関して何も言わない日が続き…
Aさんの沈黙を不安に思いながらも、Aさんは今、家庭をどうするかの決断を迫られているのだから…と自分に言い聞かせて、私はじっとAさんが何らかの言葉を発してくれるのを待ち続けました。
そうしているうちに、病院の予約を取っていた日が過ぎ、妊娠継続か中絶かをこの日までに決めた方がいいと言われていた期日を過ぎ…


次にAさんが私の部屋に泊まった日、おやすみなさいと電気を消した瞬間まで待って…待って…
最終的に、その沈黙そのものがAさんからの答えだと私は受け取って、暗闇の中で私は自分から切り出しました。

「明日病院に行って、手術の予約をしてきます」

私がそう言ったとたんに、Aさんはやっと口を開きました。
「君がひとりで決めたんじゃないからね」
と。
その後、私とAさんは何の言葉も交わさず、私は黙って涙を流しながら眠ったと、記憶しています。
(後になってAさんが言うには、この日、Aさんなりに、いろいろなことを私に言った…とのことですが、私にはAさんに何か言われた記憶も自分がそれに対して何かを答えた記憶もありません。)






妊娠を告げた際、最初にAさんの口からでてきたのは、奥様のことだった。
Aさんは何一つ…困ったとも嬉しいとも産めとも堕ろせとも言わなかった。
私が中絶の予約をすることを言って、はじめて、Aさんは言葉を発した…しかも、今更としか思えないような言葉を…

手術の予約をしてくると自分で口にした瞬間に、私とAさんの関係は死んだのだと、私は今でも思っています。







仕事の用事を避けて、中絶手術の予約を入れて…
最後まで、やっぱり一人でこの子を産んで育てられないかと悩んで…悩んで…

手術が終わって…
家までほんの少しの距離を、小雨の中、タクシーで迎えに来てくれたAさんの顔を見たとき…
「この人の子供を産むことにならなくて、よかったのかもしれない」というのが、私の素直な思いでした。
…それが、すべての答えだったのかもしれない…



手術の日の晩から、Aさんは2晩私の部屋に泊まって、私の食事をつくり、メテルギンの副作用で激しい腹痛が起きているときには手を握ってくれていました。
ただ、私は、手術後からのことをほとんど覚えていなくて…

大好きだったはずの仕事が全く手につかなくなって…
看護大学受験のために予備校に入ることを決めて、やっと、毎日に現実味が戻った感じがしたことを覚えています。



その後…
予備校に通い始め…
Aさんと別れ、ふとしたことで助けを求めたことで復縁し…
看護大学に合格し、会社を辞めて入学をし…
風俗産業に従事し…
そのことがAさんに知られて、生活を拘束され…
拘束された生活に麻痺し…
やっとのことで、Aさんから本当の意味で離れることができたのが、昨年の秋。

あの夜に、私とAさんの関係は終わっていたのだと…
そこから、本当の意味で終わりを迎えることができるまでに、5年もかかってしまったのだと…
振り返るにつけ、あの春の日の出来事を、遠く…近く…鮮やかに思い出します。




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